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■お鯉さんと書

藤井悦子

(お鯉さん)  お鯉さんに初めてお目にかかったのは二〇〇一年の十二月も押し迫った二十八日。「素晴らしい人に逢わせましょう」という、当時の徳島城博物館副館長樫原正義氏と学芸員小川裕久氏に連れられて、私は南二軒屋町のご自宅にお邪魔をした。「よしこののお鯉さん」は噂にたがわぬ魅力的なお人だった。
 人との出会い、かかわり方というのは実に不思議なもの。その日のうちに、私は「ずっと手習いをしたいと思っていました」と言うお鯉さんのお師匠(っしょ)さん役を仰せつかることになってしまった。あれよあれよのなりゆきだったが、なりゆきだけでこんな大役を引き受けられるわけはない。
 この日拝見したお鯉さん自筆の一枚の色紙。「不思議な魅力のあるこの人の書をもっと見てみたい」という好奇心が、私の全ての逡巡を吹き飛ばしてしまったのだった。

 年があらたまった二月、お鯉さんと差し向いのお稽古がはじまったが、私は密かにある決心をしていた。私がお鯉さんに指導できるのは、筆や紙や墨の扱い方だけ。もちろん手本を書いたりはしない。お稽古の題材はお鯉さんのお好きな端唄・小唄から選ぼう。 それならきっと書の世界に自由に心を遊ばせることができるだろう。お鯉さん自身も気付いておられないご自身の才能に目覚めさせ、そしてそれを引き出すお手伝い役に徹しよう。これはなかなか難しいが、しかしワクワクするような楽しい仕事になるかもしれない。私は稽古日を心待ちにした。
 結果をいえば、最初から最後までお鯉さんは実に優秀な生徒だった。のみこみも速く、その集中力に圧倒され続けた。三時間、四時間と濃密な時が過ぎる。没頭するお鯉さんにはうかつに声をかけられない真剣さがあふれていた。 私はお鯉さんが御歳九十五歳であることを忘れて付き合い、あとでしまったと後悔をした。「疲れた腕や体には鍼を打って体調の調整をしていました」とは優秀なサポーターでお身内の多田美恵さんの話。

手習い中のお鯉さんお鯉さんと藤井悦子氏 □(左)手習い中のお鯉さん
□(右)お鯉さんと藤井悦子氏

 ゛可愛らしい゛お鯉さんを垣間見たこともある。稽古の合間には、小さな巾着袋から飴玉を取り出して、笑顔で誰彼に渡しておられた。お鯉さんの飴玉は一体何人の手に渡り、何人の心を暖めたことだろう。手習いの師匠のふりをしながら、実はたくさんの事を教えて頂いたのは私だった。
 明治・大正・昭和・平成と激動の九十五年を生きてくれば、その人生はどんなにか濃密であられたことだろう。そんなお鯉さんの書が魅力的でないはずがない。ことさらな技巧のないおおらかな書は、底に強さをも潜めて涼しげだ。
 仕上がってきたお鯉さんの作品群を眺めながら、私は今、良寛さんの言葉を思い出している。優れた書の書き手でもあった良寛和尚の嫌われたもの。それは「歌よみの歌」「料理人の料理」「書家の書」であった。歌よみも料理人も書家も腕に覚えの人巧の巧みを多用する。それよりも彼はありのままの心の表われたものを良しとした。

 お鯉さんの書を見ていると、私には見えてくるのだ。緊張したお鯉さん、楽しんでいるお鯉さん、少し不安なお鯉さん、幸せなお鯉さん。そしてそれこそが見る人の心を捕らえる。暖かい懐かしさが押し寄せてくる。
 文人の父君の血を受けつがれたお鯉さんは、九十五歳にして書に目覚め、さらに伸びやかな書をものされていくに違いない。
 「百歳の書が書けました」という一報が届く日が来たら、私は何をさて置いても駆けつけることになるだろう。

徳島市立徳島城博物館 編集・発行『林鼓浪とお鯉さん』(2002年)より転載

手習い中のお鯉さん □多田小餘綾《阿波小唄》
紙本墨書  34.8×67.8

手習い中のお鯉さん □多田小餘綾《阿波よしこの》
紙本墨書  34.8×108.1

手習い中のお鯉さん手習い中のお鯉さん □(左)多田小餘綾《眉山小唄》
紙本墨書  34.8×34.2

□(右)多田小餘綾《小唄端唄屏風》
紙本墨書  各扇136.5×34.3

手習い中のお鯉さん □多田小餘綾《蘭図》
紙本墨画  34.8×53.2

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