お鯉さん百歳のよしこのへ
トップページ お知らせ CD・楽譜 お鯉基金 ENGLISH
お鯉さん よしこの ギャラリー お鯉さんへメール サイトマップ

■お鯉さん表現史

お鯉さんにゆかりの方々から寄稿していただきました。掲載は日付順、また敬称は略させていただいております。

切手になったお鯉さん - 野島正興(NHK奈良放送局チーフアナウンサー)
お鯉さん - 大出 豊(林鼓浪をよく知る粋人)
お鯉さんに寄せて - 志保り会(三味線教室)代表 星川 恭子
お鯉さん - 徳島県民謡協会事務局長 大元 誠治
百歳の唄が聞きたい - 橋本潤一郎
「お鯉さん」のお稽古、それは至福のひととき - 長谷 敏子
白寿なお小ゆるぎもせず唄いけり - 阿波踊りの名手 四宮 生重郎
お鯉さん - 鈴木 富子
お鯉さん - 前徳島城博物館副館長 樫原 正義


切手になったお鯉さん
    野島正興(NHK奈良放送局チーフアナウンサー)

「あなたさんもどうぞお元気で。」
 ご高齢のお鯉さんの健康を案じながら話しているつもりなのに、いつの間にか、お鯉さんの方が、私のことをいろいろ気遣っておられる。 ふっくらとしてよく響く声は天性のものでありながら、そこは芸で鍛えた根の強さからくるものであろう。 直接お会いしても、電話で話しても、私はいつもお鯉さんに元気をもらっている。
 初めてお鯉さんにお会いしたのは、NHK徳島放送局に着任した昭和60年である。 NHK寮のすぐ近くにお鯉さんの家があり、家族ぐるみの親しいお付き合いをさせて戴いた。 ある日、お鯉さんが我が家に三味線を持参し唄を披露されたことがあった。 お鯉さんが三味線を弾く姿を間近で拝見した幸運は、生涯忘れられない放送、「切手が語る阿波踊り」につながった。以下はその取材後記である。
 同じ阿呆なら踊らなソンソン………。戦前から「阿波よしこの節」を唄って阿波踊りを全国に知らしめたのは、徳島のお鯉さん(82)である。 そのお鯉さんが切手になった。いや、正確に言えば、切手のモデルがお鯉さんであることが分かったのである。
 イヴニングネットワークのスタジオで、美人画記念切手発売のニュースを伝えていた私は、モニターに大写しになった「三味線を弾く女」の切手を見て、「あれ!この人はお鯉さんではないか?」と気になった。 切手の原画は日本画家・北野恒富(つねとみ)が昭和5年に院展に出品した『阿波踊り』である。
 お鯉さん本人におたずねすると、「昭和の初め、北野恒富先生に呼ばれてお座敷に出たことは覚えてます。 ほれでもな、私はあの絵のようにきれいではありませんで。」と笑う。
 それでも、「切手のモデルはお鯉さん」。そう信じた私はこれを立証するための資料の探索を始めたが、恒富研究者や山形、大阪、京都、金沢等の美術館で聞いてみても、『阿波踊り』のモデルが誰であるかは全く分からなかった。 ところが、「江見水蔭(えみすいいん)という小説家が、なにやらお鯉のことを書いていたのを読んだことがある」という、お鯉さんの姉アヤさん(90)の一言を頼りに、江見水蔭(明2〜昭9)の著作を調べるうちに、岡山吉備路文学館で『水蔭行脚全集・瀬戸内と四国』を発見。
 「お鯉という名妓、敢えて美貌といふにあらざれど、丈すらりとして、姿勢満点。其の筈、院展で大評判であった北野恒富画伯の『阿波踊り』のモデルとなった人………。」
 ついに見つけた。私の胸は震え、この文章を拾い読みする声もかすれてしまった。私は喜び勇んでこの文章をお鯉さんに届け、朗読して聞いていただいた。 すると、「北野先生がお描きなさって、ほれで60年たって切手になったんでしょう?そないなことになるとは思いもせなんだ。」
 切手を見ていたお鯉さんの頬はみるみる染まり、瞳が光る………そうか、北野恒富はお鯉さんのこの輝きを描いたのか。
 小さな切手は時の流れを越えて、人の出会いのいちばん美しいものを語っている。

(「切手が語る阿波踊り」平成元年6月16日、NHKモーニングワイドで全国放送)


お鯉さん
    大出 豊(林鼓浪をよく知る粋人)

阿波おどりと云えば、代名刺お鯉さんのすばらしい唄声が聞こえてくる
私は偶然お知り合いになり数十年いつもにこやかに昔を忘れず対話してくれる人
又 今は亡き林鼓浪おっさんの色々のことなど 思い出して感激しております
四国放送の記念のスタジオでの記念の写真は
大切に私の家の宝物として大切に保存しています  NHKスタジオ。
郷土文化会館開会の全国民謡家の有名人がご一緒させていただいたの事など
いつも頂いている お手紙など快活で魅力ある人柄
徳島阿波を代表するすばらしい音色
三味線と唄声の情熱に頭がさがります
貴女は九十六才 私は八十六才 一○才年下の子供です お姉さん
  小餘綾て誰れ お鯉さんだよ ハッハッハッ
  いつまでもお元気で

平成十五年一月十日


お鯉さんに寄せて
    志保り会(三味線教室)代表 星川 恭子

 お鯉さんと私が初めて出会ったのは今から八年前の夏。徳島の阿波踊りが始まる八月十二日朝のテレビでした。 見ておりますとすでに引退していましてと話されるお鯉さんが映っておられた。この方が阿波踊りを全国に広めた有名なお鯉さん。 と感動と共に崇拝の念でいっぱいになりました。私も子供時代に数年間習っていた三味線。地元の踊り連で弾くこと十年近く。 徳島県人にとって阿波踊りはなくてはならない郷土芸能。このまゝお鯉さんに引退されたのでは、とお鯉さんのよしこのを習得すべく即決した私はお鯉さんに弟子入りと相成った次第です。 快よくお引き受け下さったお鯉さん。三味線のみならず一言一言語る言葉。全身から溢れる莫大なまでの女性としての魅力。 芸道一筋に歩んでこられた凛とした中にもユーモアたっぷりのご愛嬌ぶりは阿波おんなの代表的な第一人者のおひとりやがて九十六才を迎えられるお鯉さん。 先では百才を目標に益々ご壮健でよしこのと共に徳島県に伝わる民謡も厚生に伝承されんことを心から願ってやみません。

直弟子のひとりとして 星川 恭子ほしかわ きょうこ
平成十五年一月十一日


お鯉さん
    徳島県民謡協会事務局長 大元 誠治

 多田家玄関脇の駐車場に車を停めると、すでにそこは”お鯉さんの美の世界”。車の窓ガラスを少し開けると、いつものやさしい三味線の音色と艶やかな声が聞こえてきます。そんな贅沢な時間を味わって約二十年近くになります。
 いつの頃からか、お鯉先生は自分を紹介するときに「大きなとし(年齢)を頂きました。私にとっては毎日、毎日が大切な命です」と話される。そんな先生を身近に見て、私が印象を強くするのは、先生はご自分の心の中に
   ※人間としての、お鯉
   ※女性としての、お鯉
   ※芸人としての、お鯉
各三様のあるべき理想像を九十六才の今日、創造・努力されているように感じます。
 現在、先生には徳島県民謡協会の名誉会長として、阿波の民謡文化発展にご尽力をいただいております。又、県内外のお鯉さんファンは、数年後に開催予定の「百才コンサート」を今から楽しみに待っております。

平成15年1月12日


百歳の唄が聞きたい
    橋本潤一郎

 五年前の一九九九年初頭、まったくの偶然から評伝を書くはめになり、お鯉さん一家と親しく付き合うようになった。 メモ替わりに録音した二時間テープ十本、加えてお鯉さんご自身が戦争最中に疎開荷物の中にしのばせた関連記事の古い新聞の切り抜きを頼りに、この年四月から八月まで夕刊の連載百二十七回を書き上げた。
 阿波踊り「よしこの」の名手としてのお鯉さんの存在は以前から知ってはいたが、その人間性に触れる機会を得たのは評伝執筆がきっかけである。
 その芸道修行の深さの一端をのぞき、その日常生活を見聞きする中で、私は亡き母と同年の一九○七年(明治四十年)生まれのお鯉さんの魅力にすっかり捉えられていた。 戦前は誇り高き徳島富街の芸妓として、戦後は料亭「言問(こととい)」のおかみとして、並の人にはでき得ない気くばりの中で生きてきたお鯉さん、また自分の芸を進化させるため一日とておろそかにせず、いまなお唄い、三味を弾き続けるお鯉さん。 その芸を通じての艶やかさはその風貌までも瑞々しく見せる。「美しく老いる」とはお鯉さんのためにある言葉、今年の誕生日がくれば九十六歳、百歳で三味を弾き「よしこの」を唄いたい、それがお鯉さんの夢だという。 阿波踊り「よしこの」節は、お鯉さんの生命の唄なのだ。

   阿波に華咲く
   よしこのばやし
   お鯉生命(いのち)の踊り唄

 私も百歳のよしこのが聞きたい・・・・。

平成15年1月16日


− 「お鯉さん」のお稽古、それは至福のひととき −
    長谷 敏子

「お鯉さんのお稽古は厳しいですか。」と聞かれることがある。そんな時私は即座に首を横に振る。所謂厳しいという表現は、お鯉先生には当てはまらないと思うからだ。 お鯉先生のお稽古は感動で始まり感動で終わる。私にとってはまさに至福のひとときである。 お鯉先生はお稽古の時、常に目の前に居るたった1人の弟子の為に、誠心誠意まるで舞台に出演しているかのように、その日の課題曲を艶やかに情緒たっぷりに演奏して下さる。 お稽古中もずっと弟子と共に弾き唄い、弟子のつまずきを見つけてはそこを何度もくり返す。 時にはユーモアをまじえご自身も声をあげて笑いながら、それでも安易な妥協は許さず弟子を鍛えあげていく。 本当の厳しさとは本当の優しさの中にあるのだとつくづく考えさせられる。弟子にしていただいて今年は16年め。 私もよしこの普及のボランティア活動で大勢の人に教えているが、どれだけの幸を感じてもらえているだろう。 未熟なままの自分を恥ずかしく思いながらも、この至福のひとときがこの先ずっと続くことを信じて、今年もせっせと通いたい。

平成15年1月17日


白寿なお小ゆるぎもせず唄いけり
    阿波踊りの名手 四宮 生重郎

白寿なお小ゆるぎもせず唄いけり拡大※別ウィンドウが開きます。


お鯉さん
    鈴木 富子

 よしこのと言えばお鯉さん。お鯉さんと言えばよしこの。徳島の生んだ大スターお鯉さんに魅せられてついつい追っかけをしています。 何処のどの舞台でも幕が上がると大輪の花がパッと咲いたように華やかで輝きが増すのです。九十五才にしてあの若さ、艶やかな声どんな秘訣があるのでしょうか。 いつも美しいお召し物を着こなされ私達ファンを楽しませてくれて本当に有難うございます。
白い御髪に真赤な散り毛止めがよく映えて何とも上品です。さりげなく根付が帯の間から揺れるのが様になっていてその上、扇子がきちんと帯に差され少しのスキもない身だしなみにいつも恐れ入っています。 これからもお元気で素晴らしい唄声を聞かせてください。
 それからお鯉さんが絶大な信頼を寄せている美恵さんを「お母ちゃん」と呼ぶ時のあの嬉しそうなお顔を拝見していて、私までも幸せを感じています。

平成十五年二月十六日


お鯉さん
    前徳島城博物館副館長 樫原 正義

 お鯉さんとの出会いは、徳島城博物館に出演をお願いした縁で、ご懇意にさせていただいておりますが、あらためて、お鯉さんの魅力を皆様方といっしょにさぐってみたいと思います。
 もちろん、お鯉さんの魅力は、一朝一夕では語り尽くせませんが、何といっても、うぐいす芸者といわれた唄声と三味線の音色の素晴らしさ。まさに、唄と三味線の魔術師。
 また、面会した人達を、つい時間を忘れさす話術といきとどいたもてなし方。そして、90歳を越えても、何事に対してもたゆまぬ努力と好奇心。我々、凡人にとっては、何ひとつとして真似のできないものです。
 私は、仲間や家族から「お鯉さん狂」と呼ばれていますが、一度でもお鯉さんと面会された方は、私の気持ちはわかっていただけると思います。
 お鯉さんは、「戦前戦後を通じて、徳島が生んだスーパースター」といっても過言ではないでしょう。そんな魅力がいっぱいのお鯉さん、いつまでもいつまでもお元気でいてください。

 お鯉さんの直近のライブは、8月23日の土曜日の「お鯉リサイタル」です。皆様も応援してあげてください。なお、リサイタルの切符は、売り切れの可能性があるので早めに「お鯉の会」の方へ予約したほうがよいですよ。

平成15年2月21日

■関連ページ

お鯉さんと書 ・・・徳島市立徳島城博物館 編集・発行『林鼓浪とお鯉さん』(2002年)より

お鯉さんギャラリー( 目次 )へ戻る

E-Mail  
copyright