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■お鯉さんの図像学T

   第一部 描かれたお鯉さん
   [論考]「お鯉さん」の図像学−北野恒富筆「阿波踊」をめぐって


〈徳島の江見水蔭〉

江見水蔭〈えみすいいん〉  昭和九年五月十二日、降りしきる雨の中、江見水蔭は徳島に到着した。碩友社同人として活躍した小説家、水蔭江見忠功(一八六九〜一九三四)。この頃には専ら講演と揮毫の全国行脚に明け暮れ、その記録を逐次纒めつつ、「実感実記自著自販」「日本一の粗製高価本」と、やや自嘲気味に喧伝していた自家出版『水蔭行脚全集』を刊行していくことに、その残された時間と精力とを注いでいた。全集の第七巻目、「瀬戸内と四国」と題された内に、水蔭が徳島を訪問した際の紀行文「四国変路日記」は収録されている。

 同書によれば、その日水蔭は越久に投宿。午前中は徳島商工会議所と光慶図書館を訪問し、徳島放送局へと向かった。その途次、考古学愛好家としても名高い水蔭は、城山貝塚について「古代洞窟生活には余りに窮屈」との印象を記し、また徳島城跡を「城趾の石垣、悉く緑泥片岩にて、新緑と共に雨に濡れて美観。他域に類を見ず」と嘆じているのも興味深い。午後、徳島郵便局での講演を終えた水蔭は「新魚町の三又といふ当地第一流の料理亭」で歓待を受け、その宴席において、徳島は富田町の芸妓お鯉さんと出会うのである。
 お鯉という名妓、敢て美貌といふにあらざれど、丈すらりとして、姿勢満点。其筈、院展で大評判であつた北野恒富画伯の「阿波踊」のモデルと成つた人。怜悧にして、サアビス行届き、趣味を談じても理解有り と書きとどめた水蔭は、「阿波の気ちがひ踊り」を愉しみ、「お鯉の美声」による「せきぞろ」に若き日の酒宴を想って涙する。そして「鮎もよし鯉もよしヽよしの川」の句を吟じ、その短冊をお鯉さんに献じた。

 水蔭はその後も行脚を続け、徳島に立ち寄ったのと同じ年の十一月三日松山で客死。臨終の席には高知の山峡に隠棲していた吉井勇が駆けつけている。「私がいよヽ遠方への旅立の期を以て完結」との言葉通り、『水蔭行脚全集』はその死をもって稿を終え、第八号は追悼号として刊行されている。  さて、『水蔭行脚全集』にお鯉さんの記述を確認したのは、NHK徳島放送局に勤務していた野島正興氏であり、この水蔭の記録によって、ようやく我々は、北野恒富の院展出品作「阿波踊」のモデルがお鯉さんであるとの確証を得ることができたのである。


お鯉さん、こと多田小餘綾氏 □お鯉さん、こと多田小餘綾氏


〈院展出品作「阿波踊」〉

 昭和五年九月三日から十月四日まで、東京府美術館にて開催の再興第十七回日本美術院展覧会、いわゆる院展に、その作品「阿波踊」は出品された。
 作者は北野恒富(一八八〇〜一九四七)。恒富は白樺社や南海画塾において多くの俊秀を指導する傍ら、大正元年の大正美術会の結成などにも積極的に関与し、大阪画壇の革新を推進していった(なお同会には菅楯彦も参加している)。 対する守旧派は土筆会を組織するものの、大正四年に両派は合同、大阪美術展覧会(大展)が開催されるにいたる。まさに大阪に近代日本画が昂揚しようとする時代であり、その中心となって常に画壇を牽引していたのが恒富だったのである。 さらに大正六年、恒富は大阪画壇唯一人の日本美術院同人となった。画歴の初期においては「悪魔派」とも呼ばれ、濃艶かつ頽廃的美人画を得意とした恒富も、以降、院展に出品を重ねる中で、大阪の女性を題材とした浪花情緒溢れる表現の中にも、清澄かつ古典的様式を調和させた、爽やかな情感に満ちた作風へと傾いていくのである。

 そうした時期に描かれた「阿波踊」は「いかにも洗練されたもの、踊る妓たちの姿態の軽妙自在な状は、さながら生きた情景であり、線の流れもリズムに富んでゐる」「得意の鹿の子絞りを衣裳に用ゐて相変わらずの美人描写を擅まにしてゐる」「夜の色のぼかし方に得意の艶趣を見せてゐる」といった批評が発表当初より加えられ、それを「神経衰弱式デカダン」からの脱却と歓迎される一方で、「昔のこぼるゝような官能描写」が「画面の中に遠慮ぶかく縮まつてしま」ったことを惜しむ声も聞かれた。 いずれにせよ「阿波踊」は、この当時の恒富の画境を反映した作品と受けとめられていたことが理解されよう。


〈北野恒富とお鯉さん〉

 それでは、「阿波踊」のモデルがお鯉さん、との水蔭の証言にはどれほどの信憑性があるのか。既に野島氏も確認されている通り、恒富と水蔭は親交があった。宴席で仮装した二人が、並んで撮影しているユーモラスな写真なども北野家に伝わるし、「よく恒富と連れ立って星岡茶寮に出かけていた」「水蔭が釣りをしている写真もあった」というから、「阿波踊」のモデルについて会話が交わされていたことも十分に想像できる。

 では、一方のお鯉さんの記憶はどうかといえば、恒富との出会いは一度きりのこと。「恒富先生が徳島にいらしたとき、四、五人でしたか、お座敷に出させていただいたと思います」。しかし具体的なことは「おぼろげにしかわかりません、あるいは」と、遠い過去を辿るように「平野鍋吉さん(一八六八〜一九三二、徳島県麻植郡山川町の実業家・政治家)という分限者の方に呼ばれた宴席でお会いしたのでは」という。 「その後、何度か北野先生は徳島を訪れたようで、私も先生の住んでた大阪に行くたび、挨拶しようとしましたが、とうとう会えませなんだ」。また、いつのことであったか「先生が阿波踊りをお書きになったとかで、その画を拝見する機会があった」ともいう。いずれにせよ恒富が来徳時の活動の追求は今後の課題であり、その解明にあたってお鯉さんの証言は手がかりの一つともなろう。しかしながらお鯉さんは、恒富に関する切り抜きを一枚大切に伝えてくれていた。


徳島芸妓の印象 □北野恒富「徳島芸妓の印象」
 「徳島藝妓の印象」と題された記事がそれであり、「座敷のしきゐ際に立つたお鯉の姿を見ると、すらつとして水際だってゐましたよ。その姿でもこなしでも大阪藝妓そのまヽでいヽ線の流れを見せてゐました」と画人の談話が記されている。 この切り抜きは新聞でなく「何か放送局のPR誌のようなものでなかったかしら」とお鯉さんは言う。裏面の記事を透かし見ると昭和八年の記事と推測される。恒富にとって徳島の芸妓は「一たいに大阪風」であり、「大阪にゐた時のような気持になることが」好ましかった。 中でもお鯉さんとの邂逅は、それがただ一度切りのものであっても、画人に鮮烈な印象を遺していたことが窺えよう。「すらつとして水際立つ」ていたお鯉さんの姿に、画人は「大阪」の情趣を見た。その印象をもとに「阿波踊」は創作されたのであろう。


〈恒富のバリエーション〉

北野恒富《阿波踊》  ともあれ描かれた「お鯉さん」は、その後「転生」を重ねていく。習作あるいはバリエーション作と目される「阿波踊」は、例えば平成元年の切手趣味週間の記念切手の原画となったことで知られる山形美術館所蔵の一幅(旧長谷川コレクション)をはじめ、相当数確認されている。 画家は阿波踊りというモチーフをいたく気に入ったものとみえ、塾展にも同じような「おどり」を出品しているという。 人気ある画題でもあったのだろう、現在も伝わる下絵を基に数多くの注文に応え、繰り返し「阿波踊」を描き起こしていた恒富の姿が想像されるのである。
 こうした「阿波踊」小品群のうち、まずは「お鯉さん」を単身像として制作した作品から見てみよう。

□北野恒富《阿波踊》  絹本著色  122.6×41.8  個人蔵
 構図は同一であるが、例えば恒富が魅せられていた鹿子絞りの意匠をはじめ、衣装細部は変化に富む。あるいは暈しによる周囲の闇と、それを照らし出す提灯の光や文字にも工夫が見られる。作品ごとの微妙な差異を画家自身が愉しんでいたかのようにも見える。
 三味線の弾き手の隣にいる踊り手を描き出した作品も数多い。お鯉さんによれば、その踊り手のモデルは「こいか」さんではないか、とのこと。富街芸者こいか(恋香)こと三輪清水(一九○六〜一九八一)は、踊り、鼓の名手として聞こえ、当時美人芸者と謳われていた。
富街芸者こいか(恋香)こと三輪清水氏 □きよみ  -  富街芸者こいか(恋香)こと三輪清水氏
林宜一(鼓浪)「阿波の観光と産業」(徳島市観光協会 1936年6月)より
北野恒富《阿波踊》 □北野恒富《阿波踊》※
絹本著色  124.3×42.0  徳島市立徳島城博物館蔵

 お鯉さんの証言以外にも、こいかさんが恒富画のモデルだ、という噂は徳島の巷間に伝わっており、筆者も耳にしている。とりあえず本稿ではお鯉さんの証言に従い、踊り手のモデルとして紹介しておきたい。 戦後芸者をやめた、こいかさんは、昭和二四年には和菓子商・富士屋の出店を、縁も深い富田町で開業した。「隠遁生活のつもりで始めたの」と語っていた瀟洒な茶店の女主人は「話上手で人柄がよく、柔らかなふんい気」と評されながら、客に抹茶をたててはもてなす静かな生活を送った。 そんな、こいかさんが、晩年、自分の写真を大きく引き伸ばしてきたことがあった。遺影にはこれを使ってほしいという。よく見ると四〇台頃の写真であろうか。自分のお気に入りの写真で最後の場を飾りたい、そんな、年をとってもなお可愛らしく、女であることを忘れない人であったのであろう。
 この「こいかさん」と「お鯉さん」、二人を配した作品もある。縦長の構図に弾き手と踊り手を、やや俯瞰気味にバランスよく重ねている。阿波踊りの高揚した情感をわずか二人の芸妓の構成で巧みに捉え、桃や黄、銀鼠など色彩の取り合わせも華やか。さらに、提灯には「奉祝」の文字が踊る。

徳島市立徳島城博物館 編集・発行『お鯉さんと阿波踊り』(2001年)より転載

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