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■お鯉さんの図像学U


〈恒富画の問題〉

 ここで一端、恒富の「阿波踊」に描かれた衣装について検討しておきたい。実は阿波踊り関係者がこの画を見ると、少し違和感があるという。もちろん衣装は踊り浴衣が当たり前という現在から見れば、長襦袢を重ねて着込み、それを片袖脱ぎにすること自体、見慣れぬ衣装ではある。しかしながら、例えば恒富画では素足に草履を履いている。 これは実際の阿波踊りではありえない。やはり女踊りは白足袋に駒下駄でなければなるまい。あるいは画中の重要なアクセントである酸漿提灯。残念ながら提灯を三味線の天神に括り付けることも阿波踊りでは例がない、という(なお木村荘八の「天神のところがデツサンが狂つてゐて少し気になります」との指摘もあるが、これは別の問題である)。 いずれにせよ、これらは恒富によるフィクション=絵空事であり、画面の芸術的完成度を高めるべく、画家の非凡なアイデアによる演出が凝らされた結果ともいえよう。しかしながら画面全体から受ける印象はリズム感や雰囲気も含め、阿波踊りの一般的イメージの表象化に見事に成功した作品である。そして、それを裏付けるのが恒富画の需要と流布なのである。


〈小西秀麿〉

 さて、こうした恒富画に触発され、「阿波踊」を手がける画家もやがて現れた。小西秀麿「阿波踊」はお鯉さんと踊り手で構成した作品。小品ながら衣裳の裾模様に愛らしい意匠を凝らす。ただし帯の柄に手を加えたのは画家の工夫が行き過ぎたか。阿波踊りでは黒繻子の帯を締めるのが一般的であろう。作者の小西秀麿は恒富門下の大阪画人。 大阪市美術協会展や国際美術協会展等に出品、白耀展も受賞している(『美術年鑑』)。恐らくは恒富の「阿波踊」の需要が高いため、恒富門、白耀社出身の画家の中には、恒富にならって「阿波踊」を制作する者もいたのであろう。


〈松浦舞雪〉

 次に松浦舞雪の作品を見ていこう。恒富画と鏡像関係にある二曲一双の屏風(福富太郎コレクション)から検討していきたい。まず恒富画のリズミカルな構図の激しさが、舞雪画ではより温和になっているのが理解される。路傍にちぎれ落ちた紙片は、雑踏と喧騒に満ちた踊りとの対照を生み出し、一抹の哀しみすら添える。 恒富の張り詰めた踊りに比べれば、舞雪のそれは優美であり、さらに着物の意匠と色彩に繊細な工夫を凝らし、女性の艶冶でたおやかな表情も見事に描出されている。舞雪と恒富、二人の個性の相違が見て取れよう。舞雪には他にも「お鯉さん」の上半身をトリミングした作品などが確認される。


松浦舞雪《阿波踊》 □松浦舞雪《阿波踊》  絹本著色  40.7×43.0
意匠・構図とも恒富画に似て、夜の街をほのかに照らす提灯には「とみた」の三文字が浮かび、凄艶な女人の表情を映し出している。

 ここで松浦舞雪(一八八六〜一九七〇頃)について触れておきたい。京都市立絵画専門学校を卒業後、明治四二年の第三回文展に「手向け」、その後第九回文展に「花うらなひ」を出品したほか、その履歴は現在のところ不詳である。あるいは公募展への出品を避け、いずれ市井に埋もれながら活動していた画家ではなかっただろうか。 なお橋爪節也氏の御教示によれば、恒富の大正美術会結成に対抗して組織された土筆会に、最初、舞雪は所属していた。ところが両派合同による大展の開催にあたって発生したのが、いわゆる同人問題。なんと大展同人の殆どが大正美術会で占められてしまったのである。これに対する憤懣を契機に土筆会は分裂。 大正美術会に奔った画家の一人が舞雪であり、大正五年の第二回大展には、大正美術会所属の同人として名を連ねることとなった(『中央美術』大正五年四月号)。激動する大阪画壇の狭間に揺れ動く舞雪の姿を垣間見ることができよう。それでは舞雪の画技はどのようなものであったのか。確認される作品から指摘できるのは品格ある堅実な画風である。 試みに六曲一隻の「花うらなひ」を見ても、二曲一双の「阿波踊」と同じく、屏風を立てかけた際の効果を十分に配慮した上で、枝垂れ桜の大樹に籤を引き結ぶ女性たちを巧みに配置している。「阿波踊」もまた恒富画の単なる引用にとどまらぬ魅力的な優品として評価したいと思う。

犬伏真淵《阿波踊》
〈拡がる恒富画の影響〉

次に犬伏真渕の「阿波踊」である。

□犬伏真淵《阿波踊》  紙本著色  116.5×28.9  個人蔵
遠景には眉山公園と大滝山の三重塔を望み、中景には新町橋を描く。橋上で踊りに興じる情景は「新町橋まで行かんか、来い来い」の囃子言葉の風情を描き出したものであろう。さらに下方に目を落とせば、恒富画と全く同じ図像が見出せる。犬伏真渕(一八七四〜一九四九)は徳島画壇の重鎮・森魚淵に師事し、住吉派の日本画家として徳島で活躍した。しかしながら足袋や下駄を履かずに踊る阿波女の姿に、真渕は違和感を抱かなかったのであろうか。いずれにせよ、恒富画が地元徳島で描かれる阿波踊り作品にも影響を与えたことは興味深い。
 さらに、こうした絵画に止まらず、羽織の裏地にすら「お鯉さん」は顔を覗かせる。

《焦茶地阿波踊裏模様羽織》

□《焦茶地阿波踊裏模様羽織》  丈103×裄66  徳島市立徳島城博物館蔵
表は地味な焦茶地の羽織。その実、共裂の裏地には目を見張るような鮮やかな意匠を凝らす。誰の依頼になるものか、なんとも粋な趣向ではある。恒富の院展出品作の忠実な図様に、古画の「舞踏図」からの引用になる踊り手も加え友禅の優れた技術を駆使した作品である。


〈絵画と現実〉

 恒富の孫・北野悦子氏によれば、恒富は「阿波踊」について次のように語っていたという。
 祖父はこの阿波踊りの絵が特にお気に入りで「この絵が院展に出たあと、徳島の踊り子の着物の柄や様式が随分変わった。絵に影響されたのかな」と話していたんですよ(野島、一九九一)
恒富描く阿波踊りが、現実とは若干の差異があることは既に述べた。恒富の発言も実際の「着物の柄や様式」と絵画との間に懸隔のあったことを、自身認めていたかのようでもある。では絵画に影響され、現実の阿波踊りが「随分変わった」のか。 試みに徳島市観光協会が昭和三年以来発行している阿波おどりのポスターを繰ってみよう。すると昭和一〇年のポスターは、三味線弾きと島田髷の踊り手、合わせて三人の女性を描き、紅の鹿子絞りを片袖脱ぎにした、揃いの衣装となっている。

 現実の阿波踊りは思い思いの衣装を、時代の趣向を取り入れながら変化させていく。例えば昭和三年の奉祝踊り以降、衣装を揃えるなどの変化の兆しが見られたともいう。恒富画の影響を実証することは難しい。 ただし前述の通り、ポスターも含めた表象レベルに限定すれば、様々な画人に引用され、ときに染織作品の意匠にも転用されている。完成した造形のみが持ち得る強靱なイメージの生命力というべきものが見えてこよう。 と同時に、全国へ阿波踊りのイメージが流布していく過程において、恒富画が与えた影響、換言すれば「お鯉さん」のイメージが有する歴史的意味を捉えなおさなければなるまい。


〈お鯉さんと阿波踊り〉

 昭和三年十一月十日、徳島では昭和天皇の即位を祝う御大典奉祝踊りが幕を開け、十一日間もの長い間、開催された。同年十月一日の徳島市制四十周年祝賀踊りと合わせ、大正期以来沈滞ムードにあった徳島の踊りが久々に活況を呈した年でもあった。 来徳した恒富が実地に阿波踊りを取材したとすれば、恐らくはこの「奉祝踊り」だった筈である。提灯に「奉祝」の文字があるバリエーション作が見られるのもこのためである。さらに、恒富の他の「阿波踊」バリエーション作の一つに、沢瀉文様を鹿子に仕立てた衣装を着た三味線の弾き手があった。 提灯には「とみた」と書かれたこの作品、三越日本画大展覧会出品時のタイトルは、実に「奉祝阿波踊り」だったのである。

 さて、徳島商工会議所では、この奉祝踊りの活況を受けて、翌四年から徳島の盆踊りの本格的振興と宣伝に乗り出す。 その際、宣伝協力に応じたのが、富田町検番の演芸部にいて、お鯉さんとも親交の厚かった林鼓浪であり、鼓浪が「盆踊り」と呼ばれていた徳島の踊りに対し、ようやく「阿波踊り」という呼称を提唱していったのもこの時期であった。いわば徳島を代表する伝統芸能「阿波踊り」の「創出」である。
 そして昭和五年九月、院展において恒富の「阿波踊」は発表される。
 翌昭和六年八月、お鯉さんは日本コロムビア大阪支社で「徳島盆踊唄」=阿波よしこのをレコードに収録していた。昭和七年春、レコード発売。

レコード □レコード
「徳島盆踊唄」「徳島風景」を収録した昭和7年発売のコロムビアレコード
収録風景 □収録風景
昭和33年頃四国放送スタジオでの、よしこの収録の風景


 お鯉さんの唄う阿波よしこののリズムに乗って、阿波踊りもまた全国へと拡まっていく。すなわち北野恒富の「阿波踊」は、一時期沈滞していた阿波踊りが復興し、全国に喧伝されたのと軌を一にして発表された作品であり、徳島の文化を全国に発信しようとしていた時代の息吹が、色濃く投影された作品ともいえる。 恒富がお鯉さんをモデルとして形象化した阿波踊りのイメージもまた、こうして広く流布していった。阿波踊りのリズムとイメージ。現代の阿波踊り復興の背景にはお鯉さんが重要な役割を負っていたといわざるをえないのである。(徳島市立徳島城博物館学芸員 小川裕久)

徳島市立徳島城博物館 編集・発行『お鯉さんと阿波踊り』(2001年)より転載

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